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高村光太郎「道程」とキリストの道

 去る木曜日、娘は秋からリトアニアの国立大学で学ぶため、成田から発ちました。入学許可証を得たものの、学生ビザは取れておらず、住む場所も定まっておりません。息子の時のように留学支援団体に頼ることはせず、日本の大学も休学したため親としては不安だらけです。何もないところに道を設けて導く神様を、信じながらこのお方といく彼女をただ支えたいと思います。

 

 「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」――詩人 高村光太郎の、有名な詩「道程」の冒頭を思い出しました。そういえば、彼にも留学経験がありました。信仰は持たなかったものの、雄大な自然に触れ、神的な存在を感じ取って帰国しました。自然界を治めるその存在を彼は「父」と呼び、対話をしながら、己の道を進み、切り拓きました。その詩を読むときに、キリストこそは道であり、真理であり、命として心に置く私たちは、道なき道ではあってもその前途に光を当てる神を心に思うものです。

 

「わたしは目の見えない人に、知らない道を歩ませ、知らない通り道を行かせる。彼らの前で闇を光に、起伏のある地を平らにする。これらのことをわたしは行い、彼らを見捨てはしない。」

 

「主は、海の中に道を、激しく流れる水の中に通り道を設ける。」

 

   イザヤ書42、43章から聖書のことばを選んで、旅立つ娘に送りました。来年の今頃、今日を振り返る時に、この道は自分で拓いたようでそうではなく神様に拓いていただいたと思うことができますように。そう言う私も前を向き、主が示す道を進もうと思います。