· 

私は名刀になりたい

   私は名刀になりたい。浜名湖バイブルキャンプの料理人の鶴木兄の言葉です。大きな体を小さくし、神の導きをひたすら祈っていたあの姿はもうありません(私たちの教会で過ごした4年間、こうべを垂れ、毎度私と祈っていましたから)。挫折を乗り越え、今はのびのびと働いています。豪快な笑いは天性でしょう。浜名湖では今回もこの笑顔で迎えられ、ここで研修会を持つ者が皆、彼の美味しい食事をいただきました。

 

 研修会後、鶴木兄ご夫妻と3人でカフェへ行き、このエピソードを聞きました。彼が宝にしていた包丁が、ある日消えていたというのです。その前日までブラジル人グループにキャンプ施設を貸し出していたため、彼らに責任を問いました。が出てきませんでした。一年後、施設裏の竹林で発見しました。彼の包丁を誰かが持ち出し竹を切ったのか--。刃は3センチにわたり傷がつき表面も錆びていました。見つけて喜ぶも、終わった、と思ったそうです。しかしこの報告を聞いた友人が「任せてください」と持ち帰り、よみがえらせ、包丁を返してくれました。たくさん研いだ後の包丁は一回り小さくなりました。包丁は、料理人を志した頃の、お金がない時代に奮発して買った思い出の品でした。この包丁を自らに重ねて握るとき「私は名刀になりたい」と夢を追いかけていた自分と今の自分が交差するようです。

  

   そして彼は言いました。神様が使うのであれば、仮に錆びた刃物を手にしても問題なく切れるのに。使っていただくだけで恵みなはずなのに。それでも私はちょっぴり欲張りで、高みを目指しています、と。太い手を広げながら豪快に笑いました。神様の御手の中で、彼は確かに用いられています。