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被爆者たちの声届くノーベル賞

   3月末に日本で映画「オッペンハイマー」が公開され、翌月息子に誘われて観に行きました。その月の週報「牧師室から」に映画の雑感を記しました。当時のメディアはこの映画を絶賛中でしたが、私には違和感がありました。原爆研究所が設置されたのはニューメキシコ州の先住民の地で、この地を汚し、この地の住民に健康被害を与えることになるもそこに注目しない。原爆を投下した日本の2つの町を汚すもこの町の住民にも注目しない。巨大な火の玉と雲。静寂、熱風そして雷鳴を映像で描き、開発者の主人公のその後の苦悩を描いた。あえて省いた内容とその意図が気になりました。映画祭アカデミーのトロフィーを突き上げて喜ぶ俳優たちの、ステージの上での言葉にも、放射線を浴びた者たちへの言及はなく、そこも気になりました。

 

 21年の広島平和祈念式典で、菅首相は原爆を読み飛ばしました。今年の式典では岸田首相が、自身の親が広島出身者なのに、あえて触れず個性も感情も入れずまとめました。原爆の話題に臆病な為政者や米国人に対して、映画を観終わった後にサーロー節子さんの言葉を思い出したのでした。彼女は2017年、国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」の一員として、ノーベル平和賞の式典でスピーチをしました。「被爆した25万人の魂の大きな塊を感じ取って欲しい。その一人ひとりには名前がありました。一人ひとりが誰かに愛されていました。彼らの死を無駄にしてはなりません。」--当時13歳で被爆した彼女の声は、世界各地の被災者遺族の心に届きました。

 

 昨日、「日本被団協」へ今年のノーベル平和賞が贈られるとの報道がありました。被爆者たちの声は、国と言語を超えて遠くまで届いていたのですね。ところで、私たちキリスト者の声は、神様に届いているのです。天地ほどの差はあっても、「救いを叫ぶ者の声」は、必ず神様に届くのです。